遣唐使船は
遣唐使船は、大阪住吉の住吉大社で海上安全の祈願を行い、海の神の「住吉大神」を船の舳先に祀り、住吉津(大阪市住吉区)から出発し、住吉の細江(現・細江川。通称・細井川。細井川駅)から大阪湾に出、難波津(大阪市中央区)に立ち寄り、瀬戸内海を経て那の津(福岡県福岡市)に至る。その後は、以下のルートを取ったと推定されている。
630年?665年の航路…北路
北九州(対馬を経由する場合もある)より朝鮮半島西海岸沿いを経て、遼東半島南海岸から山東半島の登州へ至るルート。半島情勢の変化により使用できなくなる。
702年?752年の航路…南島路
薩摩の坊津(鹿児島県南さつま市)より出帆し、南西諸島経由して東シナ海を横断するルート。東シナ海において黒潮で北に流される分を考慮し、一度南進している。その存在が証明できないとの研究もある。
くつろぎで暮らしネット
ゴルフは気持ち
ジャスミン
セカンド生活総合ポイント
ツンツンドリ
ネット便り
パラ・パラ経済状況
ファンキーモンキー
ポートアイランド
みつばくんの日記
ユッキーからだをサポート
わらび君
一年生
音楽は素敵
芽依のスポーツパーク
気ままにメッセージ
恭江のブログ
月桂樹
黒猫ルンバ
志麻の日記
773年?838年の航路…南路
五島列島から東シナ海を横断するルート。日本近海で対馬海流を横断して西進する。
663年の白村江の戦いで倭国は朝鮮半島での足場が無くなり、676年に新羅が半島から唐軍を追い出して統一を成し得たため、倭国は北路での遣唐使派遣が出来なくなり、新たな航路の開拓が必要になった。そのため、南島路や南路が開発された。なお、665年の遣唐使は、白村江の戦いの後に唐から倭国に来た使節が、唐に帰る際の送唐客使である。
839年の帰路は、山東半島南海岸から黄海を横断して朝鮮半島南海岸を経て北九州に至るルートがとられたようである。